占いには興味ない。シルシには興味ある。

ふつうに考えて、
太陽は、ふたつ昇らない。

宇宙空間の真ん中で、ひとつ、輝いています。

きっと、命式上でも、
太陽を意味するものはひとつあることが尊くて、
それ以上になると、ちょっと強すぎるのかもしれません。

実際に、太陽を意味するものが多すぎる人は、
周囲からも浮く存在の方が多いです。

だけど今の暦は、
太陽がふたつあるような時期を通過中です。


わたしは、太陽を必要とする命式のバランスのおかげか、
今はとても冴えています。ありがたいくらいに。

一番大きいのは、時間の感覚。

ここ数年、ずっと時間に追われる生活が続いていたのに、
最近は、同じ仕事量をこなしても、時間に余裕が出来ているんです。
これ、太陽がふたつ重なっているおかげのような気がしています。

いつもなら衝突するものが、衝突しない。

いつもなら弱められるものが、弱まっていかない。

強くなっているわけではない。

ちょうどいいのです。

それとともに、、、、
忘れてはいけないシルシも、明るく照らされています。

忘れてはいけないシルシ。

もし、太陽が宇宙空間の中で起動から外れてしまったら、
地球は生きていけませんよね。

忘れてはいけないシルシは、
それと同じくらい次元の深いものです。

わたしが易学によって救われていると感じるのは、
そのシルシを思い出す時なんです。


命式を書いている時、
そのシルシは、ひとつの文字となって、
いつでも命式の中に存在しているのですが、

占いのように、
表面的な部分だけをなぞるだけでは、
その文字を読み解くことは出来ません。

易学は、理解度に応じて、どんな扉が開くのかみんな違う。

生まれた時から、ずーーーーーーっと自分の人生の中にあったシルシが、
初めてシルシの意味として読み解けるようになった時、

理解度が追い付かないうちは、
読み解けないようになっているこの構造すらも、
神様からの配慮というか、
優しさを感じましたね。

知るのが今で良かったっていう。

いまわたしの元に集まってくれている易学仲間たちは、
占いには興味ない。

でも、シルシには興味ある。

わたしが主宰している易学コミュニティの研鑽の場は、
このシルシに対してオープンな次元で展開しています。

日常では使わない言葉がたくさん出てきますが、
研鑽の場だからこそ、許される会話なんだなと。

今になってわかることが、まだまだあります。

これからもきっと、まだまだ続いていくんだろうと思っています。

今回、新しくメンバーを2名迎えたので、
研鑽会の会場ももうすこし広い場所にしなきゃいけないのに、
今年はアジア大会があるから、
いつもお世話になっている蒲郡商工会議所を借りることが出来ませんでした。

狭いけど、サロンの中で、
ぎゅうぎゅうづめでやっていこうと思います。。。。^_^

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