萬年暦の蔵干が変わったことについて思うこと。

そういえば。
今年は、萬年暦の蔵干が変更になったことで、
ときどき、新旧どちらを採用したらいいのかって、たまに話題になるのね。

暦がズレたというよりも(そういう体感もゼロではありませんが)、
蔵干をどう定義して、どう計算していくかという部分での方針が変わった、、
という解釈でわたしは受け止めています。

日数から度数に変化したことで、暦に立体感を感じます。

今までは、
節入り日から何日目という計算は、
その月の太陽を浴びた日数であると教わってきたけれど、

日数から度数になったということは、
十二支というフィールドの中で、
その気がどのくらいの度数を進んだ位置にあるのかな?
という自然な見方になってくるのかもしれませんよね。

日数を数えるのではなく、
度数で位置を見るというふうになると、
もっと全体的になるし
もっと立体的になる。


ふだんの日付もそうでしょう。

昨日には昨日のエネルギーがあって、
今日には今日のエネルギーがもちろんあって、
でも、その背景は昨日も今日もグラデーションしています。

一分超えたからといって、
エネルギーがバシっと区切られてしまうわけではない。

常に循環していて、
常にグラデーションしているから、

命式を記入するときの技術的なところでは
新しい度数に統一したとしても、

感覚としての流れは、延々と連続的です。

暦ですから、
昨日と今日の区切りは必要だけど、
自然界には区切り線が存在しているわけではありませんし^_^

日数ではなく、度数となったことで、
萬年暦の読み解きも、
特に、流れの読み解きは変わってくるでしょうね。

今の時代にあった読み解き力、翻訳力も、
ますます大事になってきそうですね^_^

暦の学びは果てしないので、時々、前向きに嫌になります笑

いったい地下何階まで続くんですかって感じの。

そんな暇あったら、外でも歩こう~♪って気分になります。

そして、外を歩いてみると、
そこには易の世界が広がっていたりするんです。

萬年暦は、
自然の変化をどう捉えるかってことから始まっているから。

自然に触れることと、萬年暦を開くことの往復。
そのくらいのペースがわたしにはちょうどいいです^_^

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